写本の魅力-書物が日常の一部になるまでの道のり

立教大学文学部書店トークイベント記録

2020/04/07

文学部書店トークイベント

OVERVIEW

2019年にジュンク堂書店 池袋本店と連携して行われた「立教大学文学部書店~池袋に文化の灯台を~」。文学部教員約60名が約700点近い選書を行ったほかさまざまなイベントが行われました。ここでは2019年10月30日に行われた文学科ドイツ文学専修の井出万秀教授によるトークイベントの記録をご紹介します。

写本の魅力-書物が日常の一部になるまでの道のり

文学科ドイツ文学専修 井出 万秀 教授

写本は政治や権力と大きく結びついている

「写本」というのは、本の内容はもちろん、豪華な装丁の高級感が、政治的権力を表していました。今、本と政治というのはあまり権力とは関係がないですが、当時はこういう貴重なものを持っているということが権勢の象徴になっていたと言えます。また、戦利品としても写本が非常に重宝されていました。大きな戦争があるたびに、写本というのは戦利品として持っていかれる。第2次世界大戦でも、戦勝国が負けた国から芸術品を全部持っていってしまい、その返還は今でも解決されていません。写本もその対象になり、ドイツでも相当な写本がどこかに強奪され、今も行方が分からないものが結構あります。幸い今は、写本自体は国が所有していても、テキストの内容だけはデジタル化してどこからでもアクセスできるようになってきていて、誰が持っているかというのはあまり問われなくなっています。

権勢の象徴としての写本に大きな転機が訪れるのが、1つは1806年の神聖ローマ帝国解体といわれるもの。神聖ローマ帝国がナポレオンに敗北しました。その際、帝国代表者会議主要決議というのがあり、この中で世俗化ということが盛り込まれて、修道院が解散させられ、修道院の財産が没収されてしまいます。その没収された財産の中に写本がありました。ドイツの州立図書館が貴重な写本を持っているのはこうした事情からです。それまで修道院が持っていたものが、没収されて、それぞれの領邦国家の所有になったので、ミュンヘン国立図書館(バイエルン州)、ドレスデン国立図書館(ザクセン州)、ベルリン国立図書館が写本を多く持っています。ドイツはそういうことだったのですが、スイスのザンクト・ガレンの修道院図書館は、いまだにたくさん写本を持っています。これがなぜ残れたかというと、スイスは神聖ローマ帝国に入ってなかったので、没収されることもなくて、いまだにザンクト・ガレンの修道院が、中世の写本、貴重なものをかなり所有しています。

日本では、写本が今どこにあるかというと、ほとんど寺社が持っています。これはスイスの状況と同じで、ナポレオンみたいに修道院財産を没収するようなことがなかったので、いまだにお寺とか寺院が貴重な写本を持っているのですが、必ずしも簡単には見せてくれません。ドイツでは、神聖ローマ帝国が解体されたことによって、こういった貴重な写本が公にアクセスできている状況です。スイスのザンクト・ガレンの修道院も、貴重な写本は完全にオープンアクセスできるようになっています。日本はもう少し写本を組織的にデジタルコピーして公にしてくれたら、研究がいろいろ進むと思います。

個別のオリジナル装丁生産も。これからの本の可能性

プファルツ選帝公がお気に入りで、三十年戦争でプファルツの都ハイデルベルクから亡命するときに抱えて持っていった「マネッセ写本」という写本があります。現在はハイデルベルク大学が所蔵するドイツ語写本の通し番号の最後であるcpg 848の写本ですが、フランスに奪われてしまい、ようやく19世紀になってハイデルベルク戻ってきた写本です。写本自体は14世紀のもので、細密画があって、右側にテキストがあると。パーツとしては、筆記媒体として、紙が普及する前の羊皮紙です。中世宮廷抒情詩ミンネザンクの写本で、収録されたそれぞれの詩人の細密画が描かれ、テキストはイニシャル文字の装飾が施されていますが、これは分業のアンサンブルとなっていて、羊皮紙をつくる職人、絵を描く職人、イニシャルを描く職人、テキストを筆写する職人、写本を本に綴じる職人、装丁を作る職人らの分業から成り立っているものです。

写本の意義というのを話しますが、これは技術的なことになります。「写本-分業のアンサンブル」は、写本の始まりは、筆記媒体を買うところから始まります。皮のなめし屋さんが皮をなめして、それを修道院に売るわけです。ですから、ここになめした革を渡している作業図が絵に描いてあります。筆記者は、ガチョウの羽根の根元を斜めに切って鋭くしてインクで書いています。黒のインクはススが中心になっているようで、カラーの場合は、また別の鉱物、無機物質を使っていたようです。筆記では、現代では自分で考えたことを自分で書きますが、この当時は口頭で言われたことを筆記者がそのままメモしていったといわれています。

製本の際は、これは現代の印刷も同じですが、何枚かを重ね合わせて1つのセットにしてとじ合わせます。羊皮紙の場合は、4枚くらいを1つのセットにして折って、それをどんどん重ねていって、最後に装丁。そうすると、本を開いたときに、1枚1枚ではなくて数枚がまとまって広がります。本を立てて上からみると、背表紙で綴じた部分が波線上の連なっているのがわかります。これはセットになるものを重ね合わせて製本するというやり方だからです。この製本方法は、中世からずっと脈々と今まで生きているわけです。装丁は、中世や近世初期の装丁は、羊皮紙を綴じたら板をその上に重ねて、板の上に重ねて革を張ります。装丁と中身は別なので、装丁というのは必要に応じて身ぐるみはがされて新しいものにしますが、プファルツ蔵書が三十年戦争の戦利品としてバチカンに移送されたときは、重くなるので装丁が全部外されて中身だけまとめて持っていかれました。現代でも、本を作るときは、中身の印刷と装丁は別です。中身は中身で印刷屋がやり、製本屋が装丁するという形の分業は今でも残っています。

筆記媒体の革命ということでは、古いところではパピルスという植物繊維のものがあって、次に羊皮紙になって、それから紙になって、今、電子媒体になっています。電子媒体になって、電子媒体は非常に便利なのですが、電気がないと何もできない。付属の機材がないと記録、再現ができない。そうすると、何百年も先、紙媒体のように再現できるかというところは、電子媒体に関してはすごく不安ですよね。そういう意味では、この写本という物理的存在感のある物体というのは、ひょっとしたら今後もこういうものが一部でもいいからなくては駄目じゃないかなと少し考えました。

最後に、マテリアルとスピリッツ、物質と精神で見たときに、もちろん写本はマテリアルとしても貴重ですが、スピリッツがなかったら意味がありません。物質として貴重かもしれないけれども、その物質が持っているスピリッツ、精神は何かということを探っていくと、それには言語が必要だし、古典語ができないといけないし、古典の筆記体を読めるなど、特別なスキルも必要です。そういった意味ではオリジナル装丁にも、自分のお気に入りだとか、これはぜひ誰かにプレゼントしたい本だというスピリッツがあるわけです。そのスピリッツに対して、それをさらに盛り立てるようにオリジナルな装丁をすると、スピリッツがもっとマテリアルを通して生きてくるのではないでしょうか。ひょっとすると今後は大量生産から、個別のオリジナルな装丁生産に移る可能性があって、それは本屋さんなんかも大々的にやっていってもいいのでは、という気がします。
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。

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