聖なる書物を読むということ
立教大学文学部書店トークイベント記録
2020/04/06
文学部書店トークイベント
OVERVIEW
2019年にジュンク堂書店 池袋本店と連携して行われた「立教大学文学部書店~池袋に文化の灯台を~」。文学部教員約60名が約700点近い選書を行ったほかさまざまなイベントが行われました。ここでは2019年10月22日に行われたキリスト教学科の長谷川修一教授、加藤喜之准教授によるトークイベントの記録をご紹介します。
聖なる書物を読むということ
キリスト教学科 長谷川 修一 教授、加藤 喜之 准教授
民衆が聖なる書物を読むまでのプロセス
加藤:実は中世においてそもそも聖書は読まれていませんでした。基本的に一般の人は字を読むことができないですし、ラテン語で書かれていたため、エリート層しか読めない。普通の聖職者ですらもほとんど読めなかったんです。
そういう中で、聖書がどのように知られていたかというと、耳で聞くわけですね。でも、それもラテン語なのであまり分からない。もちろん、絵に描かれた聖書の物語を見たり、説教などを通してその一部を聴くことは当然ありますが、民衆レベルでの聖なる書物に対する理解と、一番トップのエリートが理解している聖書、聖なる書物というのはずいぶん乖離しているわけです。
一般民衆の話だけにしてみますと、彼らは我々が思うほど聖書というものに執着していませんでした。それよりも、パンとぶどう酒をもちいた、いわゆる「聖餐式」という 儀式のほうが民衆にとっては重要だったわけです。儀式の中で例えば「モノ」としての聖書が飾られていたりはします。ですがそれはあくまで背景にすぎません。そのため我々は、「キリスト教=聖書」というように理解はしていますが、中世の民衆にとってはそれほど重要視されているものではなかったのです。
でも、これがだんだん中世の後期になってくると、状況も少し変わってきます。経済が発展していって、市民生活のようなものが都市の中で行われていくようになると、自分たちの信仰をもう少し知りたいという欲求が出てくるんですね。そうすると俗人用の、つまり一般民衆用の宗教的な本というのがいろいろ出版されるわけです。彼らはミサには出席しているのですが、ミサで語られる儀礼の言葉はよく分からない。そこで儀礼が行われている間にそういった書物を自分で読んだりすることで、ある種、能動的に礼拝に加わることができるようになるのです。
実際に語られている聖書の言葉と、もちろん聖書の翻訳の部分というのはそういった宗教本にも入っているのですが、そこで語られていることと、実際に読んだり、自分が能動的にやっている行為には大きなギャップがあり、まだその時点では乖離していました。
この状況が大きく変化するのが宗教改革です。1517年以降、宗教改革者たちはより積極的に民衆に語り掛けます。また、民衆がもっと自発的に聖書を知るようになる仕組みを用意するようになるのです。なぜかというと、宗教改革の理念の根幹には、個人個人が神について知って、神に対して信仰を持つということが救いにつながるんだという信念があったからです。儀礼を「行う」ことから信仰内容を「理解する」という大きな考えのパラダイムシフトみたいなものがそのとき起こってくるのですね。その基本的な考えに基づいて、民衆もきちんと自分で勉強しなければいけない、勉強して聖書に書かれていることを知って、それで自分の救いを確かなものにしていってほしいという願いが、宗教改革の指導者たちの中にあったのです。
それを可能にしたのが中世後期に起きた活版印刷技術の発明です。この時代の聖書はまだラテン語なのですが、この技術の発展とともに印刷されるようになります。宗教改革がはじまり1520年代になると、ルターによってまず新約聖書がドイツ語に翻訳されます。旧約聖書も併せて両方刊行されるのが1534年。そこで初めて、ドイツの民衆がラテン語を知らなくても自分たちの言葉で聖書を読めるという状況がやってきたのです。
それ以前の民衆は「読む」という行為をしていなかったのですが、こうした流れによって人々が聖なる書物を読むプロセスが少しずつ、できていったといえるでしょう。
そういう中で、聖書がどのように知られていたかというと、耳で聞くわけですね。でも、それもラテン語なのであまり分からない。もちろん、絵に描かれた聖書の物語を見たり、説教などを通してその一部を聴くことは当然ありますが、民衆レベルでの聖なる書物に対する理解と、一番トップのエリートが理解している聖書、聖なる書物というのはずいぶん乖離しているわけです。
一般民衆の話だけにしてみますと、彼らは我々が思うほど聖書というものに執着していませんでした。それよりも、パンとぶどう酒をもちいた、いわゆる「聖餐式」という 儀式のほうが民衆にとっては重要だったわけです。儀式の中で例えば「モノ」としての聖書が飾られていたりはします。ですがそれはあくまで背景にすぎません。そのため我々は、「キリスト教=聖書」というように理解はしていますが、中世の民衆にとってはそれほど重要視されているものではなかったのです。
でも、これがだんだん中世の後期になってくると、状況も少し変わってきます。経済が発展していって、市民生活のようなものが都市の中で行われていくようになると、自分たちの信仰をもう少し知りたいという欲求が出てくるんですね。そうすると俗人用の、つまり一般民衆用の宗教的な本というのがいろいろ出版されるわけです。彼らはミサには出席しているのですが、ミサで語られる儀礼の言葉はよく分からない。そこで儀礼が行われている間にそういった書物を自分で読んだりすることで、ある種、能動的に礼拝に加わることができるようになるのです。
実際に語られている聖書の言葉と、もちろん聖書の翻訳の部分というのはそういった宗教本にも入っているのですが、そこで語られていることと、実際に読んだり、自分が能動的にやっている行為には大きなギャップがあり、まだその時点では乖離していました。
この状況が大きく変化するのが宗教改革です。1517年以降、宗教改革者たちはより積極的に民衆に語り掛けます。また、民衆がもっと自発的に聖書を知るようになる仕組みを用意するようになるのです。なぜかというと、宗教改革の理念の根幹には、個人個人が神について知って、神に対して信仰を持つということが救いにつながるんだという信念があったからです。儀礼を「行う」ことから信仰内容を「理解する」という大きな考えのパラダイムシフトみたいなものがそのとき起こってくるのですね。その基本的な考えに基づいて、民衆もきちんと自分で勉強しなければいけない、勉強して聖書に書かれていることを知って、それで自分の救いを確かなものにしていってほしいという願いが、宗教改革の指導者たちの中にあったのです。
それを可能にしたのが中世後期に起きた活版印刷技術の発明です。この時代の聖書はまだラテン語なのですが、この技術の発展とともに印刷されるようになります。宗教改革がはじまり1520年代になると、ルターによってまず新約聖書がドイツ語に翻訳されます。旧約聖書も併せて両方刊行されるのが1534年。そこで初めて、ドイツの民衆がラテン語を知らなくても自分たちの言葉で聖書を読めるという状況がやってきたのです。
それ以前の民衆は「読む」という行為をしていなかったのですが、こうした流れによって人々が聖なる書物を読むプロセスが少しずつ、できていったといえるでしょう。
日本語の変化と聖書学の進歩によって聖書の言葉は変わった
長谷川:2018年、昨年の12月に新しい聖書協会共同訳という聖書の翻訳がなされました。その売り言葉というのが「変わらない言葉を変わりゆく世界に」なのですが、でも実は聖書は変わってきた言葉なのです。
私の専門としている旧約聖書、ヘブライ語聖書のほうのお話をします。どういう本を翻訳したかというと、今からおよそ1,000年前に、写本、活版印刷技術が発明されるまでは手書きの写本しかありませんでしたから、その手書きの写本、1008年に写本された聖書を底本としてヘブライ語から直接日本語に訳したものです。これまでもそうでした。1987年に出された新共同訳という聖書もありますし、その前の1950年代に出された口語訳聖書もありますが、それらすべて1008年に写本された聖書から翻訳されています。
なぜ新しい訳が必要かというと、1つは、我々が使っている日本語が変わるからです。大体30年、一世代経つと使う言葉が変わります。ですから、私の世代の人と今の若い10代、あるいは20歳前後の方と、それから70代、80代の方とは、おそらく共通している語彙はたくさんありますが、違う語彙もたくさんありますし、文法も若干変わってきたりします。まず、それが1つ。
もう1つは、聖書学の進歩です。今まではこういうふうに訳されてきたけれども、実はこれはこういうふうに訳したほうが正確なのではないか、そういうことが新しい発見が毎年のようにありまして、これも変わっていきます。いくつかあるので1つだけ例を挙げますと、今までの新共同訳の聖書では、「強い酒」とか「濃い酒」と訳されてきた単語があります。これシハードというヘブライ語なのですが、新しい聖書協会の共同訳の聖書では「麦の酒」に変わりました。麦の酒というのは焼酎では麦焼酎がありますが、当時は蒸留する技術はおそらくありませんでした。ですからウイスキーでもあり得ない。そうなりますと、これはビールなんですね。ビールというのは今から3,000年、4,000年、いや5,000年ぐらい前から、エジプトだとかメソポタミアで広く作られ、飲まれていました。もちろん現在のビールとはちょっと味が違い、もう少しドロッとした甘い飲み物、若干の甘みと酸味があるような飲み物だったといわれていますが、それをどうも聖書でたくさん言及しているようであるということです。
それが最近分かってきて、英語訳の聖書でははっきりと「beer」という言葉を使っているものもあらわれています。ようやく日本語でも「麦の酒」と。神様はビールを飲むのかという問題があったのかどうかは分かりませんが、避けられてきたところもあるのですが、それがようやく麦の酒という名前に変わりました。このように他にもたくさんの変化が聖書にはあります。
私の専門としている旧約聖書、ヘブライ語聖書のほうのお話をします。どういう本を翻訳したかというと、今からおよそ1,000年前に、写本、活版印刷技術が発明されるまでは手書きの写本しかありませんでしたから、その手書きの写本、1008年に写本された聖書を底本としてヘブライ語から直接日本語に訳したものです。これまでもそうでした。1987年に出された新共同訳という聖書もありますし、その前の1950年代に出された口語訳聖書もありますが、それらすべて1008年に写本された聖書から翻訳されています。
なぜ新しい訳が必要かというと、1つは、我々が使っている日本語が変わるからです。大体30年、一世代経つと使う言葉が変わります。ですから、私の世代の人と今の若い10代、あるいは20歳前後の方と、それから70代、80代の方とは、おそらく共通している語彙はたくさんありますが、違う語彙もたくさんありますし、文法も若干変わってきたりします。まず、それが1つ。
もう1つは、聖書学の進歩です。今まではこういうふうに訳されてきたけれども、実はこれはこういうふうに訳したほうが正確なのではないか、そういうことが新しい発見が毎年のようにありまして、これも変わっていきます。いくつかあるので1つだけ例を挙げますと、今までの新共同訳の聖書では、「強い酒」とか「濃い酒」と訳されてきた単語があります。これシハードというヘブライ語なのですが、新しい聖書協会の共同訳の聖書では「麦の酒」に変わりました。麦の酒というのは焼酎では麦焼酎がありますが、当時は蒸留する技術はおそらくありませんでした。ですからウイスキーでもあり得ない。そうなりますと、これはビールなんですね。ビールというのは今から3,000年、4,000年、いや5,000年ぐらい前から、エジプトだとかメソポタミアで広く作られ、飲まれていました。もちろん現在のビールとはちょっと味が違い、もう少しドロッとした甘い飲み物、若干の甘みと酸味があるような飲み物だったといわれていますが、それをどうも聖書でたくさん言及しているようであるということです。
それが最近分かってきて、英語訳の聖書でははっきりと「beer」という言葉を使っているものもあらわれています。ようやく日本語でも「麦の酒」と。神様はビールを飲むのかという問題があったのかどうかは分かりませんが、避けられてきたところもあるのですが、それがようやく麦の酒という名前に変わりました。このように他にもたくさんの変化が聖書にはあります。
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。