腹が減ってはいくさができぬ—イギリス小説におけるユーモア、恋愛、そして経済
立教大学文学部書店トークイベント記録
2020/04/03
文学部書店トークイベント
OVERVIEW
2019年にジュンク堂書店 池袋本店と連携して行われた「立教大学文学部書店~池袋に文化の灯台を~」。文学部教員約60名が約700点近い選書を行ったほかさまざまなイベントが行われました。ここでは2019年7月24日に行われた文学科英米文学専修の小山太一教授によるトークイベントの記録をご紹介します。
腹が減ってはいくさができぬ—イギリス小説におけるユーモア、恋愛、そして経済
文学科英米文学専修 小山 太一 教授
ウィリアム・サッカリー『虚栄の市』からはじまった小説遍歴
私が英文学の方面に進むきっかけになった、私のささやかな小説遍歴の始まりからお話しします。
1989年の夏、私は高1でした。その夏にふと、気になるタイトルの本を見つけたのです。なぜか魅かれるものがあり、手に取ったのがウィリアム・メイクピース・サッカリーという人が1848年に刊行した小説、『虚栄の市(原題 Vanity Fair)』でした。日本における英文学研究の草創期に活躍した平田禿木 (ひらたとくぼく)による、大正期の翻訳です。
少し読み進めてみると、これがとんでもない話で、言ってみれば、19世紀初めのバブル紳士、バブル淑女たちの話なのです。俗に「無い袖は振れぬ」と言いますが、その無い袖を振るふりをして暮らしている、そういう人たちの話です。
『虚栄の市』の主要な登場人物はレベッカ・シャープという女性と、もう一人、アミーリア・セドリという女性。単純化して言えば、レベッカが悪で、アミーリアが善です。2人は同じ寄宿学校の出身なのですが、レベッカは貧乏画家とオペラの踊り子の子供で、学校でフランス語を教え、さらに召使いのように勤めるのと引き換えに学校に入れてもらった人。それに対して、アミーリアはセドリ氏という裕福な商人の娘で、何不自由なく育ってきた人。この2人がこの学校で仲良くなり、一緒に社会に出て行くところから話は始まります。
こういう世界を読み進めるほどに、当時高校生の私を引き込んでいったのは、色気と欲気、見栄っ張りといった身も蓋も無い内実、そしてそれらが織り成すいわば虚実の世界でありました。
サッカリーという作家はやたらと語り手が顔を出して、「ここはこういうことでございます」みたいなことを常識人っぽい口調で言うのですが、ここに関しては、高校生の私は、もっぱら無視しながら、レベッカの浮沈ばかりを追っていたような気がします。サッカリーの語り手というのは多くの読み手に「うっとうしい」と評されることが多いのですが、研究者になった今、もう一度、考えてみると、小説全体を語る語り手の立ち位置が、この小説で描かれる“虚栄の市”なるものに対する諷刺であると同時に、その“虚栄の市”の共犯者でもあることを指し示すという重要な機能を持っているのだと思います。
私が平田禿木訳の『虚栄の市』を読んだのは1989年です。世の中はちょうどバブル景気の真っ盛りでした。後から振り返ってみて、大正はじめの古色蒼然(こしょくそうぜん)たる翻訳が昭和末期の高校生に対して、何らかの精神的な影響を与えたとすれば、それはバブルの埒外(らちがい)かつ都市的な文化資本の埒外に位置していた私の育った家庭、つまり上層ワーキングクラスの家庭、そういう家庭の息子が大学進学とともに触れることになったバブルの名残が漂う都市文化に対して、どのように接するかという問題に、この本がほんの少しではあれ、ヒントを与えてくれたということではないかと思います。
サッカリーが描く世界は、一方の極にセンチメンタルなヴィクトリア調の道徳があり、もう一方の極にベッキーのアウトローさに対する、これまたある意味でセンチメンタルな密かな肩入れがあるわけですが、その中間にある分厚い層というのは、いわば「金の切れ目が縁の切れ目」であり、「貧すれば鈍する」という、身も蓋もない現実に支配された閉塞的な空間であるわけです。井原西鶴の言葉を借りるなら、世の中のことなど全然知らなかった高校生の私も、そこに生々しい「胸算用」が渦巻く「世間」の存在を感じたのでしょう。
1989年の夏、私は高1でした。その夏にふと、気になるタイトルの本を見つけたのです。なぜか魅かれるものがあり、手に取ったのがウィリアム・メイクピース・サッカリーという人が1848年に刊行した小説、『虚栄の市(原題 Vanity Fair)』でした。日本における英文学研究の草創期に活躍した平田禿木 (ひらたとくぼく)による、大正期の翻訳です。
少し読み進めてみると、これがとんでもない話で、言ってみれば、19世紀初めのバブル紳士、バブル淑女たちの話なのです。俗に「無い袖は振れぬ」と言いますが、その無い袖を振るふりをして暮らしている、そういう人たちの話です。
『虚栄の市』の主要な登場人物はレベッカ・シャープという女性と、もう一人、アミーリア・セドリという女性。単純化して言えば、レベッカが悪で、アミーリアが善です。2人は同じ寄宿学校の出身なのですが、レベッカは貧乏画家とオペラの踊り子の子供で、学校でフランス語を教え、さらに召使いのように勤めるのと引き換えに学校に入れてもらった人。それに対して、アミーリアはセドリ氏という裕福な商人の娘で、何不自由なく育ってきた人。この2人がこの学校で仲良くなり、一緒に社会に出て行くところから話は始まります。
こういう世界を読み進めるほどに、当時高校生の私を引き込んでいったのは、色気と欲気、見栄っ張りといった身も蓋も無い内実、そしてそれらが織り成すいわば虚実の世界でありました。
サッカリーという作家はやたらと語り手が顔を出して、「ここはこういうことでございます」みたいなことを常識人っぽい口調で言うのですが、ここに関しては、高校生の私は、もっぱら無視しながら、レベッカの浮沈ばかりを追っていたような気がします。サッカリーの語り手というのは多くの読み手に「うっとうしい」と評されることが多いのですが、研究者になった今、もう一度、考えてみると、小説全体を語る語り手の立ち位置が、この小説で描かれる“虚栄の市”なるものに対する諷刺であると同時に、その“虚栄の市”の共犯者でもあることを指し示すという重要な機能を持っているのだと思います。
私が平田禿木訳の『虚栄の市』を読んだのは1989年です。世の中はちょうどバブル景気の真っ盛りでした。後から振り返ってみて、大正はじめの古色蒼然(こしょくそうぜん)たる翻訳が昭和末期の高校生に対して、何らかの精神的な影響を与えたとすれば、それはバブルの埒外(らちがい)かつ都市的な文化資本の埒外に位置していた私の育った家庭、つまり上層ワーキングクラスの家庭、そういう家庭の息子が大学進学とともに触れることになったバブルの名残が漂う都市文化に対して、どのように接するかという問題に、この本がほんの少しではあれ、ヒントを与えてくれたということではないかと思います。
サッカリーが描く世界は、一方の極にセンチメンタルなヴィクトリア調の道徳があり、もう一方の極にベッキーのアウトローさに対する、これまたある意味でセンチメンタルな密かな肩入れがあるわけですが、その中間にある分厚い層というのは、いわば「金の切れ目が縁の切れ目」であり、「貧すれば鈍する」という、身も蓋もない現実に支配された閉塞的な空間であるわけです。井原西鶴の言葉を借りるなら、世の中のことなど全然知らなかった高校生の私も、そこに生々しい「胸算用」が渦巻く「世間」の存在を感じたのでしょう。
「世間文学」と翻訳、そして笠置シヅ子の「大阪ブギウギ」
京都の人間が愛用するフレーズに「よう知らんけど」というのがあります。何か利いたふうなことを言った後、ハッと気がついて、「(利いたふうなことを言ってしまった、)よう知らんけど」と必ず言うのです。京都以外の人が聞くと、「なんて無責任な」と感じる人が多いようですが、あれはそういうことではなく、「利いたふうなことを言ってしまった、けど、アホの言うことやから堪忍して」というジェスチャーなのです。それを応用して言えば、私も、世界文学などというご大層な概念については「よう知らんけど」、世界文学ならぬ「世間文学」としての『虚栄の市』は十分、われわれ日本の読者の心にも響き得ると思っています。ちょっとここで、そのように響くことを願って私がかつて試みた、京言葉によるジェイン・オースティンの『自負と偏見』の冒頭、ベネット夫妻の会話をお聞きいただきましょう。(「ちょっとあんた、聞かはりました?」に始まる「京言葉訳」は、ウェブ版では残念ながらスペースの都合で省略。またどこかでご披露する機会があればと願っております。)
翻訳というものに関しては、忠実で透明な翻訳などあり得ないというような説が、しばしば理論派の先生方から提出されます。しかし、そういう翻訳のいわゆる不透明性の上に楽天的に開き直って京言葉に遊んでみると、遠いイギリスの19世紀初頭に生きていたベネット夫妻という中年の夫婦の姿が急に生々しい息遣いを持って迫ってこないでしょうか。考えてみれば、平田禿木訳「虚栄の市」の戯作調の訳も恐らく、それと同じような作用を高校生の私に与えたのではなかったかと思います。翻訳というのはこんなことをしてもいいのだと思ったからこそ、私は翻訳家になったのでしょう。
常々、私は翻訳家というものは根本的に楽天的なものだと思っています。つまり、こっちの言葉で言えばどうなるとか、あるいは、それをこっちで言えばどういうもの、みたいな質問に必ず答えがあると思っているのが翻訳家という存在なわけですから。
笠置シズ子という歌手をご存じでしょうか。「東京ブギウギ」という、敗戦によってあらゆるタガが吹き飛んだ昭和二十年代の日本を象徴するような歌で歌謡史に名を残す人です。笠置シズ子は「大阪ブギウギ」というちょっとマイナーな曲も歌っているのですが、その中に、大阪が「あちらでいうたらニューヨーク」という、むちゃくちゃなフレーズがあります。このフレーズに、戦後日本のアメリカに対する劣等感交じりの憧れを見るというのはたやすいことなのですが、しかし、大阪というのはあちらでいえばニューヨークだという翻訳が、ブギウギのリズムと日本的な音階にのせて行われると、実はニューヨーク、あるいは「あちら」なるものから神秘的なありがたみがはぎ取られる。こういう作用が行われることは見逃せないと思います。「大阪ブギウギ」は昭和ポピュラー音楽史の大立者である服部良一の作曲ですが、これもまた、アメリカの音楽/アメリカという場所を、いわば世間文学の発想でもって大胆に世界化する試みではないでしょうか。藤浦洸による歌詞の、大阪船場のいとはん(お嬢さん)たちが声を合わせてブギウギを歌うというシュールな光景をあっけらかんと歌ってしまう笠置シズ子の伸びやかな声は、私を心の底から勇気づけてくれます。翻訳家としても、日本で英文学を研究している人間としても、いとはんたちのブギウギに声を合わせて歌うことができればと、常々思っております。
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。
翻訳というものに関しては、忠実で透明な翻訳などあり得ないというような説が、しばしば理論派の先生方から提出されます。しかし、そういう翻訳のいわゆる不透明性の上に楽天的に開き直って京言葉に遊んでみると、遠いイギリスの19世紀初頭に生きていたベネット夫妻という中年の夫婦の姿が急に生々しい息遣いを持って迫ってこないでしょうか。考えてみれば、平田禿木訳「虚栄の市」の戯作調の訳も恐らく、それと同じような作用を高校生の私に与えたのではなかったかと思います。翻訳というのはこんなことをしてもいいのだと思ったからこそ、私は翻訳家になったのでしょう。
常々、私は翻訳家というものは根本的に楽天的なものだと思っています。つまり、こっちの言葉で言えばどうなるとか、あるいは、それをこっちで言えばどういうもの、みたいな質問に必ず答えがあると思っているのが翻訳家という存在なわけですから。
笠置シズ子という歌手をご存じでしょうか。「東京ブギウギ」という、敗戦によってあらゆるタガが吹き飛んだ昭和二十年代の日本を象徴するような歌で歌謡史に名を残す人です。笠置シズ子は「大阪ブギウギ」というちょっとマイナーな曲も歌っているのですが、その中に、大阪が「あちらでいうたらニューヨーク」という、むちゃくちゃなフレーズがあります。このフレーズに、戦後日本のアメリカに対する劣等感交じりの憧れを見るというのはたやすいことなのですが、しかし、大阪というのはあちらでいえばニューヨークだという翻訳が、ブギウギのリズムと日本的な音階にのせて行われると、実はニューヨーク、あるいは「あちら」なるものから神秘的なありがたみがはぎ取られる。こういう作用が行われることは見逃せないと思います。「大阪ブギウギ」は昭和ポピュラー音楽史の大立者である服部良一の作曲ですが、これもまた、アメリカの音楽/アメリカという場所を、いわば世間文学の発想でもって大胆に世界化する試みではないでしょうか。藤浦洸による歌詞の、大阪船場のいとはん(お嬢さん)たちが声を合わせてブギウギを歌うというシュールな光景をあっけらかんと歌ってしまう笠置シズ子の伸びやかな声は、私を心の底から勇気づけてくれます。翻訳家としても、日本で英文学を研究している人間としても、いとはんたちのブギウギに声を合わせて歌うことができればと、常々思っております。
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。