第22号(1961年)~第30号(1969年)紀要『英米文学』

第30号(1969年)

Seven Poems:Kenneth Scholes
20世紀イギリス文学批評 文学批評の系譜:理論と実際:細入 藤太郎
「自然の子」とワーズワス:秋山 徹夫
Ronald A.Knoxの英訳聖書:船戸 英夫
William Dean HowellsのVenice領事時代—1861年~1865年—:師岡 尚
孤絶者の眼—ユージン・オニール論—:有賀 文康
Poe’s Prose Style(Ⅰ):Hisazumi Tagiri
『英米文学』創刊のこと:富田 彬
『英米文学』の発刊とその前後:高橋 広
記録『英米文学』30号:飯島 淳秀編

第29号(1968年)

現代批評の発生—H.L.メンケンを再評価して—:細入 藤太郎
本の変容—E.M.フォースター小論—:前田 昌彦
詩人エリオットと宗教:福井 嘉彦
コンラッド試論『闇の奥』一つの解釈:佐藤 勉
ドロシー・ワーズワスの日記—兄と妹の詩的相互浸透—:秋山 徹夫

第28号(1967年)

メルビィルの詩における陸と海:秋山 武夫
ホーソンの孤独について—短篇を中心にして—:加藤 忠彦
ヘンリィ・ジェイムズ—『ボストニアンズ』について:大場 啓仁
カースン・マッカラーズのある問題—母の不在—:水田 寿一
シェイクスピアの『ソネット集』における‘show’と‘seem’について—外観と実体—:服部 悠紀子
『フォースタス博士』のメフィストフィスについて:川崎 淳之助

第27号(1966年)

聖書とその影響について—ヨブ記を中心に—:江河 徹
George HerbertのEucharistic Poems:船戸 英夫
The Book of Ruth—その文学性と文学への投影—:吉田 新一
「老水夫行」試論:前田 昌彦
ダニエル・デフォー:飯島 淳秀

第26号(1965年)

現代批評の方向—エドマンド・ウィルソンの研究—:細入 藤太郎
E.M.ロバーツ『大草原』:水田 寿一
「熊」—フォークナーの転換期—:内田 昭一郎
S.クレインの詩—その一考察—:加藤 忠彦
THE PHONEMIC INTERPRETATION OF OLD ENGLISH ORTHOGRAPHY:大江 三郎

第25号(1964年)

William Dean Howells: A Traveler from Altruriaについて:師岡 尚
エマスンと東洋思想—『バガヴァッド・ギーター』と「カータカ・ウパニシャッド」との関連について:福田 光治
Elizabeth Madox Roberts: The Time of Man:水田 寿一
『兵士の報酬』小論—フォークナーの「出発」をめぐって—:原川 恭一
ENGLISH AND JAPANESE — A COMPARATIVE STUDY:田桐 大澄
THE LEVELS OF MODERN ENGLISH USAGE:松浦 康有
The Portrait of a Ladyの改訂について:大場 啓仁

第24号(1963年)

サッカレーの「スターン論」について:吉田 新一
詩と信仰:江河 徹
テネシー・ウィリアムズの「黒い戯曲」:鳴海 弘
運命論者の哲学 メルヴィル『ピエール』覚え書:後藤 昭次
GERALD MANLEY HOPKINS AND GEORGE HERBERT:Kenneth Scholes
SONORITY AND WORD ORDER:田桐 大澄

第23号(1962年)

イカルスかプロメシュウスか—マーロー『フォータス博士』のテーマについて:川崎 淳之助
オニールとストリンドベリ:西田 実
新英訳聖書(The New English Bible)の背景と文体と評価:金子 尚一
“WRETCHED QUEEN”:Lynn B.Bennion
BUAKU(A Classical Japanese Skit):Koyu Matsuura

第22号(1961年)

H.リードとC.G.ユング:相原 幸一
イエイツの詩における女性:五十嵐 正雄
ホーソーン『陳腐な物語集』の孤独と社会:大本 剛士
ポーの初期文学理論:中里 晴彦
Carson McCuller’s The Heart Is A Lonely Hunter:水田 寿一
英語における有声摩擦音v,d,zの音素化:田中 春美

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